戦前のヤンキー

昭和12年の国民新聞より引用。

【女だてらに刺青や男装を誇り相棒の男を使って市中の盛り場に出没して詐欺、窃盗、お目見得、恐喝などなど邪道を踏んでいた不良少年少女の一群が一網にされた。名を「夜嵐団」と称し団長は「夜嵐お節」こと中川きよこ(19)、副団長「隼お静」こと城山静江(20)。

参謀格は「夜嵐の銀太」こと笠原清(26)、輩下に「朧月夜の蔦」こと大橋つるえ(18)、「文学お柳」こと小山柳子、「スピードの金太」こと館山常子、「スケトンの譲次」こと佐々木政雄、「白鷲の彌太郎」こと川合保などなど=いずれも仮名。】引用以上。

なかなかのネーミングセンスだ。館山常子がスピードの金太になったいきさつを聞きたい。問い詰めたい。小山柳子がお柳を名乗ったのは比較的原型を留めたケースではあるが、よりによって「文学」は不良っぽくない。政雄→譲次はいくらなんでもひねりすぎである。まさに戦前のヤンキー達はやりたい放題だったようだ。

もちろん刺青もいれる。人気があったのは「ご意見無用」だとか、「日本一」だそうだ。入れる場所も傾きに傾き、眉毛や陰部にいれる猛者もいただとか。ご意見無用な陰部。これはなかなか説得力がある。と、言うか陰部相手に意見する人もいないのではないか。

集合場所は主に、ミルクホール(パンと牛乳屋)、しるこ屋、おでん屋、公園、神社仏閣、空家など。「野郎ども!今日は浅草のミルクホールに集合だぜ」と言った会話がなされたに違いない。グループ名には、地桜義団、紅組、骸骨団など、○○義団・○○組・○○倶楽部といった多い。中にはブランコ組、スミレ倶楽部といったグループも存在したようだ。

「最近の若者は乱れとる!!」と言われるが、若者は昔から乱れるものだったようだ。恐ろしいスミレ倶楽部がおでん屋に集結してたりしてたくらいなのだ。笑ってばかりはいられない。美人局、恐喝、窃盗、空き巣とダイレクトな犯罪にいそしんだのである。この記事が載ったのが昭和12年である。現在でももしかしたら戦前のヤンキー世代が元気に過ごされているかも知れない。

「ああ、陰部にご意見無用なんていれるんじゃなかったわい」

と、今頃どこかの老人ホームで公開してくれている事を願う。僕は勢い余ってやりすぎちゃったエピソードが大好きなのだ。戦前のヤンキー達に幸あれ!

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